メディカル24
本当に役立つ、身近な医療情報
メディカル24 > 芸能メディカルニュース > 芸能人の病気ニュース > 血液内科(白血病・悪性リンパ腫等)

血液内科(白血病・悪性リンパ腫等)

岡村孝子(急性白血病)

2019年4月22日、歌手でシンガー・ソングライターの岡村孝子さん(当時57歳)が急性白血病のため、長期の治療に入ると自身の公式サイトで発表した。

同年6~7月に予定している全国ツアーは急遽中止になった。

病状について詳しく語られておらず、病気発覚前に岡村さんは「体のだるさ」や「動機」を訴えていたという。

5月12日に自身のインスタグラムを更新し、「山あり谷ありを繰り返しながら、ようやく今日までたどり着きました。今日がどの地点か、わかりませんが ふり返れるという事は、自分の中で前に進めているってことかもしれません」とコメント。

担当医から「長期(数か月間)に渡って、適切な治療を踏むことができれば、必ずや通常の生活に戻れます」という説明を受けたという。

スポンサーリンク


池江璃花子(白血病)

2019年2月12日、競泳の池江璃花子選手(当時18歳)が白血病であることを告白し、世間に衝撃が走った。

池江選手は自身のツイッターを更新、「このたび、体調不良としてオーストラリアから緊急帰国し検査を受けた結果「白血病」という診断が出ました。私自身、いまだに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療をすれば完治する病気でもあります。今は少し休養をとり、治療に専念し、1日でも早く、また、さらに強くなった池江璃花子の姿を見せられるように頑張っていきたいと思います」とコメントした。

また、日本水泳連盟は緊急会見を開き病状について「早期発見だった」と告げ、発覚までの経緯等について説明した。

池江選手は2019年1月13日、都内で開かれた競技会で「自身の日本記録から4秒遅れる」という異変に気付いていた。

さらにオーストラリアでの合宿中に「肩で呼吸する」明らかに体調の異変がみられていた。

オーストラリアからの帰国後、日本での検査の結果「白血病」と診断され、即入院となった。

入院中、順調に治療を続けていた池江選手は、2019年5月末に公式サイトにて数日間退院していたことを報告。

池江さんは「退院中は家族で食事を楽しんだり、外の空気をたくさん吸ってのんびりした日を過ごしました」とコメント。

また、病室にトレーニング用の自転車を持ち込む映像が公開され、軽い運動を再開していることを報告している。

垣原賢人(悪性リンパ腫)

プロレスラーの垣原賢人さんが悪性リンパ腫と診断されました。2014年に開催されたイベント終了後、垣原さんは体調不良を訴え、病院で診察を受けた結果、悪性リンパ腫と告知されます。

垣原賢人既に全身に転移し、心臓の状態も悪く、抗がん剤が使用できるかも難しい状態でしたが、奇跡的に抗がん剤の効果が得られました。

闘病生活は過酷だったと語られていますが、今では身体を動かせるようにまで回復されています。

垣原さんは「いつ再発するかわからない状態ですが、感謝する気持ちが上がったと同時に幸福度も上がり、1秒1秒大切に命を使えている」とコメント。

2015年には多くの著名なプロレスラーが集まって垣原さんをサポートするため、「Moving On~カッキーエイド~」が開催。

さらに2017年には雨天で中止になりましたが、垣原さんはプロレスラーとして再びリングに立つ予定もありました。

垣原さんは「現役時代に比べると恥ずかしい身体ですが、戦っている姿を見せることで同じ病気の人に勇気を与えていきたい」と語っている。

スポンサーリンク


大塚範一(急性リンパ性白血病)

大塚範一さんが17年間務めていた朝の情報テレビ番組を突然の降板。その陰には急性リンパ性白血病という大病の存在がありました。

大塚範一大塚さんが2011年63歳の時、首にしこりのようなものを確認。直ぐにかかりつけの医師に相談して精密検査を受けた結果「急性リンパ性白血病」という診断でした。

告知を受けた大塚さんは「酒も多く飲まず、タバコも吸わない。趣味といえばゴルフくらいなもの。こんなに健康体の自分がなぜ?」という釈然としない思いが広がったといいます。

直ぐに入院生活を余儀なくされるですが、そんな時に大塚さんのお母様が他界され、自身の病気よりも一番辛かったと話されています。

その後、臍帯血移植を受けたことで「血液型がB型からA型に変わった。60歳になって性格が変わるとは思わないですけど、アナウンサーとか放送の世界ではB型が多いんですよ。だから僕はアナウンサー不適かな?」と語っている。

今後、いずれ病気を完治して「東京オリンピック」では、何らかの仕事に携わりたいとコメントしている。

小堺一機(原発不明頸部リンパ節転移)

タレントの小堺一機さんが2004年に首の腫瘤を切除する手術を受けられました。

小堺一機小堺さんは、家でひげを剃っている時にしこりを発見、かかりつけ医に相談して検査をした結果、原発不明頚部リンパ節転移との診断。

原発不明頚部リンパ節転移とは、原因となるがんが確認されないまま首に転移したがんを指します。

小堺さんの場合、首の右側に直径2~3センチの腫瘤、左側に小さな腫瘤が確認されており、針生検にてがん細胞と診断されました。

摘出手術は成功し、主治医から「(がん細胞は)すべて摘出したので転移の心配はない」とのことでした。

小堺さんは、がんという病名を聞いて「やっぱり、死ぬんだ」と最初は思われたそうですが、治療については落ち着いていたとコメントしています。

手術後の経過は順調で約1か月の自宅療養期間を経て仕事に復帰されました。

入院期間等の詳細に関しては誰にも言わなかったそうです。退院した時の友人や仲間からの励ましの言葉がとても嬉しかったと話している。

復帰後に禁煙をしますが、がんになったから禁煙した訳ではないそうです。

その後、小堺さんは「特別なことは何もしていない」食べたいものを食べ、お酒も飲み、タバコもストイックにやめるわけでなく、楽しい場での1本のもらいタバコをするといった生活を送られているとのこと。

小堺さんは、毎月1回、主治医・喉ポリープの専門医・免疫系の3人の先生に診てもらい、PET(陽電子放射断層撮影)検査なども定期的に行っているそうです。

スポンサーリンク


吉井玲(急性骨髄性白血病)

2000年7月、女優の吉井玲さんを襲ったのが白血病でした。当時18歳だった彼女はグラビア撮影のために滞在していた奄美大島で倒れました。

吉井玲40度の高熱を出した彼女は現地にて応急処置を受け、一旦は落着いたものの東京に戻ってから再び高熱となり、緊急入院にします。

この時点で病気が急性骨髄性白血病であることは確認されていましたが、本人には告げられていませんでした。

吉井さんには、ただ約3か月間の入院が必要なことだけが伝えられていました。

病名を知らされないまま点滴治療であると偽り、実際には抗がん剤治療が行われていました。医師からは「薬の副作用で髪が全部抜け落ち、爪が黒く変色する」と聞かされ、深い絶望感を感じたといいます。

また、隔離された無菌室での孤独感は、彼女にさらなる絶望感を与えていました。

やがて感情のコントロールでさえままならなくなり、最愛の母へそのやり場のない感情をぶつけてしまったことがあったと後に語っています。

1回目の抗がん剤治療が終了し、彼女の体力が回復の兆しを見せた頃に急性骨髄性白血病の告知が本人にされました。

彼女が発症した白血病タイプは、骨髄移植が完治への最短距離であることから、白血球の型が一致したお母様からの骨髄移植を行うことになります。

その後、手術は成功し、吉井さんは芸能界への復帰を果たされました。

渡辺謙(急性骨髄性白血病)

1989年、俳優の渡辺謙さんを病魔が襲ったのは渡辺さんが30歳の時でした。

初の主演映画になる予定だった「天と地と」の撮影中に倒れて病院へ搬送。そこで告げられた病名は急性骨髄性白血病でした。

渡辺謙映画の出演は降板となり、復帰どころか命の危険もある状況でした。

約1年間の闘病生活を送り、治療を続けながら仕事に復帰するまでに回復されています。

その後、仕事に復帰されますが治療中であったため、最初は大きな役は少なかったようですが、1993年に大河ドラマ「炎立つ」で完全復活をアピール。

しかし、誰もが完治だと思っていた矢先の翌年1994年に再発。最初に急性骨髄性白血病を発病してから5年後の事でした。

この時、渡辺謙さんは「最初の病気の時は一瞬自殺を考えたこともあったけど、2度目はそんな事を考える気力もないほど深い絶望でした」と話しており、いかに精神的に辛い状態だったことがわかります。

その後、懸命の治療を続け、元妻の(南果歩)の支えもあり、翌年に仕事復帰を果たすのですが、治療中に受けた輸血でC型肝炎ウイルスの感染が発覚します。

このウイルス感染は2002年の「ラストサムライ」のクランクイン前に発覚していました。

しかし、仕事が多忙であったことから直ぐに治療はせず、2006年(当時48歳)の時にC型肝炎の治療を開始していますが、映画「明日の記憶」を撮影中、治療薬による副作用は酷いものだったと明かしています。

その後、白血病の再発はなく、C型ウィルスは陰性に転化されているとのことです

スポンサーリンク

HOME